カギは「分散」

掲載日:2020.07.10

 先日の熊本県を中心に襲った集中豪雨によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた全ての皆様にお見舞いを申し上げます。わが国の誇るべき美しい自然は、同時に、繰り返し災害をもたらす厳しい自然でもあります。私たちにできる事は、起きてしまった自然災害からの教訓を生かし、更にお一人でも多くの命が守られるよう、政治も含めて頑張ることです。なぜ老人ホームであのように大勢の痛ましい犠牲者が繰り返し発生してしまうのか? この点もしっかりと検証して参ります。

 考えてみますと昨年は千葉県も台風15号を始め自然災害に苦しめられました。今年になってコロナ一色となっていますが、これからはコロナ対策とともに直下型地震も含めた自然災害への備え、そして自然災害の原因でもある地球温暖化を食い止めるために自分たちに何ができるか?、を改めて最優先課題として考えなければなりません。

 昨年私が台風の後の館山市や鋸南町を回ったとき、ソーラーや燃料電池などが備わり、大停電の影響を全く受けていないお宅に出会いました。いのちと暮らしを守るための地に足のついた生き方、そのカギは「分散」です。大都市の過密をできるだけ減らし、デジタルネットワークも駆使して分散的に暮らし、働く。遠方からではなくなるべく近場の産直野菜を中心に、できれば自分でも少しは畑をやって採れた野菜を食べ、そしてエネルギーも自分の家で発電して停電から無縁な暮らしに入る(蓄電池も近い将来、一家に1台の時代になります)。こうしたデジタル化時代の新しい自給自足、「分散」の暮らし方に切り替えていけば、おのずからプラスチックをも多用しない暮らし方になる。これが今後の「新しい生活様式(ニューノーマル)」です。

 コロナが仮に収まっても、石炭火力などにこれまで通り依存し世界中から食料や資源を買い集める暮らし方を変えていかない限り、私たちは今後も自然災害に苦しめられ、やがては美味しいお米も魚も口にできないような日本になってしまいかねません。たとえ自分たちは世代的に滑り込みセーフだとしても、子供たちや孫たちの時代にそんな世界と日本とを残していきたいとはだれも考えないでしょう。であれば、一人一人が自覚をして、社会を変えて行かなければなりません。私たじま要は、政治家としてこの取り組みの先頭に立って引き続き汗をかいて参ります。

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